久しぶりの投稿です。
傾聴・受容など
カウンセリングに関することを
記事にしてきました
では実際のカウンセリング場面で
どんなやりとりがなされているのか
どんなことを
どんな風に
どれだけ話せばいいのか
そう思う方も多いと思います
今回は
来談者中心療法で著名な
Carl Rogersの
実際のカウンセリング場面の
17回目のセッションを逐語に起こし
日本語訳された本を取り上げ
カウンセリングを受けてみたい
という方の小さなきっかけに
なれば幸いです
またカウンセラーにとって
忘備録的な意味を込めて
ロジャーズの技を記録しておきます
緊張や疲労などの
身体的症状を訴えますが
医師はこころの状態に
要因があると判断し
ロジャーズがカウンセリングをすることになります
Miss Munはその症状を
なんとかしたいと思っていますが
17回目のカウンセリング
で話されている内容は
「どうすれば治るか」
「何をしたらいいか」
などの具体的な対処法
ではなく、
(最初はそうだったかもしれませんが)
家族に対する思いや
周囲の女性に対する思い
です。
そんなことを話して
身体的症状は治るの?
と思う方もいるかもしれませんが
カウンセリングでは
悩みに直接
関係ないと思うようなことでも
話したいと思えば
話していいです
身体的症状は
原因がウイルスなどの
場合もあれば
悩みやストレスが溜まった
サインとして出現することも
あります
Miss Munは
セッションの中で
自分の本当の感情に
正確に気づき
それを受け入れることによって
正直な自分に出会い
心に余裕が出てきている
私はそんな風に読みました
もしこれから
カウンセリングを受けてみたい
と思う方がいたら
自分の症状はこれで
きっと自分の問題はこれで
と決めたり
症状改善のために
何をすべきか教えてもらうために
状況を正確にうまく伝えよう
などと気負いせず
今日こんなことがあった
そのときこんな気持ちになった
や
関係ないかもしれないけど
今カウンセラーに
こんな話を聴いてほしい
などなど
少しだけゆるっと
捉えてもいいと思います
もちろん
自分を見つめるときは
しっかりとまじめに。
逃げたくなるほど
エネルギーがいることもありますが…
・受容
・内容の繰り返し
・感情の明確化
が有名ですが、
これらが真意として
理解されずに広まった
とされています
とくに
内容の繰り返しは
オウム返しだと批判されることもあったり
カウンセリングのテキストでも
クライエントが
「~なことがあってとても悲しい」
といえば
〈悲しいんですね〉
といいましょう
なんて書かれていることも…
大きな誤解です。
そもそも「繰り返し」
だなんて訳すから誤解が起きやすいですが
Repeatではなく
Restatement(再び述べる、とか言い直し)です
そのことが本当によくわかる
逐語記録でした
クライエントが放った言葉の
最後や感情だけを拾って
同じこと言ったって効果なんかない!
もっと相手の話している世界を
自分の中にもありありと想像し
一緒に見ているかのように
会話を広げていく
そうすると
クライエントの「悲しい」に含まれる
意味がわかり
カウンセラーの「悲しい」ではなく
ほぼ同じ質の「悲しい」を共有できます
だから、「悲しいんですね」
なんて浅い言葉で返すのではなく
悲しいに含まれたもの
たとえば、取り残されたさみしさ
を一緒にみたように感じたら
「かなしい、そしてさみしいような…」
と伝えてみる
クライエントはそこでやっと
「わかってくれた」となるでしょう
ちがっていたら
「さみしいというより、腹立つみたない」
と教えてくれるでしょう
感じたのは
2人とも自由である
ということでした
上にも述べた
技法にしばられることなく
そっとそばにいるような
応答でした
実際にMiss Munは
後半で
自分の気持ちに
ロジャーズがそっと
はいってきてくれている
ように感じると話します
ロジャーズは
「セラピーで、その個人(クライエント)が
愛されているという経験…
その愛は喜んで別の人(カウンセラー)が
ある他人のために、
自分自身のしかたで
自分自身の感情を持つということ…
そのことを経験する」
ことが深いセラピーに必ず起こるといいます
カウンセラーが自分自身に
純粋でいることが、
クライエントが自分の感情に
素直になれることに
繋がるのだとおもいます
ロジャーズのカウンセリング(個人セラピー)の実際 著:カール・ロジャーズ 監:畠瀬稔 2007 コスモス・ライブラリー
これまで傾聴・受容など
カウンセリングに関することを
記事にしてきました
では実際のカウンセリング場面で
どんなやりとりがなされているのか
どんなことを
どんな風に
どれだけ話せばいいのか
そう思う方も多いと思います
今回は
来談者中心療法で著名な
Carl Rogersの
実際のカウンセリング場面の
17回目のセッションを逐語に起こし
日本語訳された本を取り上げ
カウンセリングを受けてみたい
という方の小さなきっかけに
なれば幸いです
またカウンセラーにとって
忘備録的な意味を込めて
ロジャーズの技を記録しておきます
相談にきた理由と内容の変化
クライエントのMiss Munは緊張や疲労などの
身体的症状を訴えますが
医師はこころの状態に
要因があると判断し
ロジャーズがカウンセリングをすることになります
Miss Munはその症状を
なんとかしたいと思っていますが
17回目のカウンセリング
で話されている内容は
「どうすれば治るか」
「何をしたらいいか」
などの具体的な対処法
ではなく、
(最初はそうだったかもしれませんが)
家族に対する思いや
周囲の女性に対する思い
です。
そんなことを話して
身体的症状は治るの?
と思う方もいるかもしれませんが
カウンセリングでは
悩みに直接
関係ないと思うようなことでも
話したいと思えば
話していいです
身体的症状は
原因がウイルスなどの
場合もあれば
悩みやストレスが溜まった
サインとして出現することも
あります
Miss Munは
セッションの中で
自分の本当の感情に
正確に気づき
それを受け入れることによって
正直な自分に出会い
心に余裕が出てきている
私はそんな風に読みました
もしこれから
カウンセリングを受けてみたい
と思う方がいたら
自分の症状はこれで
きっと自分の問題はこれで
と決めたり
症状改善のために
何をすべきか教えてもらうために
状況を正確にうまく伝えよう
などと気負いせず
今日こんなことがあった
そのときこんな気持ちになった
や
関係ないかもしれないけど
今カウンセラーに
こんな話を聴いてほしい
などなど
少しだけゆるっと
捉えてもいいと思います
もちろん
自分を見つめるときは
しっかりとまじめに。
逃げたくなるほど
エネルギーがいることもありますが…
ロジャーズの姿勢
ロジャーズの提唱した技法・受容
・内容の繰り返し
・感情の明確化
が有名ですが、
これらが真意として
理解されずに広まった
とされています
とくに
内容の繰り返しは
オウム返しだと批判されることもあったり
カウンセリングのテキストでも
クライエントが
「~なことがあってとても悲しい」
といえば
〈悲しいんですね〉
といいましょう
なんて書かれていることも…
大きな誤解です。
そもそも「繰り返し」
だなんて訳すから誤解が起きやすいですが
Repeatではなく
Restatement(再び述べる、とか言い直し)です
そのことが本当によくわかる
逐語記録でした
クライエントが放った言葉の
最後や感情だけを拾って
同じこと言ったって効果なんかない!
もっと相手の話している世界を
自分の中にもありありと想像し
一緒に見ているかのように
会話を広げていく
そうすると
クライエントの「悲しい」に含まれる
意味がわかり
カウンセラーの「悲しい」ではなく
ほぼ同じ質の「悲しい」を共有できます
だから、「悲しいんですね」
なんて浅い言葉で返すのではなく
悲しいに含まれたもの
たとえば、取り残されたさみしさ
を一緒にみたように感じたら
「かなしい、そしてさみしいような…」
と伝えてみる
クライエントはそこでやっと
「わかってくれた」となるでしょう
ちがっていたら
「さみしいというより、腹立つみたない」
と教えてくれるでしょう
さいごに
2人のセッションをみていて感じたのは
2人とも自由である
ということでした
上にも述べた
技法にしばられることなく
そっとそばにいるような
応答でした
実際にMiss Munは
後半で
自分の気持ちに
ロジャーズがそっと
はいってきてくれている
ように感じると話します
ロジャーズは
「セラピーで、その個人(クライエント)が
愛されているという経験…
その愛は喜んで別の人(カウンセラー)が
ある他人のために、
自分自身のしかたで
自分自身の感情を持つということ…
そのことを経験する」
ことが深いセラピーに必ず起こるといいます
カウンセラーが自分自身に
純粋でいることが、
クライエントが自分の感情に
素直になれることに
繋がるのだとおもいます
コメント
コメントを投稿